生きていると、1つや2つ身の回りで不思議なことが起こったりしますよね。「えっ、こんなことある?」とか「ちょっと偶然過ぎない?」とか。そして、なんでこんなことが起こったんだろう?そう言えば「すべてのことはメッセージ」だってユーミンが言ってたな。そうか、これはきっと何かのメッセージなんだ。でも一体全体この出来事は何を伝えようとしているのだろう?とか、そんなふうに降りかかった謎に魅了されて、人生は思いもよらない方向に進んで行ったりするんですよね。たぶん。
小学6年の時、100m走のタイムを計測しました。担任の先生がストップウォッチを手に校庭の隅で待っている。ゴール後に告げられたタイムは14秒26でした。次に100m走のタイムを計ったのは中学1年の時。校庭で陸上部の先輩が計ってくれました。そしてタイムは14秒26。翌年の中学2年の時は陸上競技場で走りました。陸上部の顧問の先生がストップウォッチで計測すると、タイムはやっぱり14秒26だったのです。
成長期真っ只中に3回走って、3回とも同じタイムだった。いや、別にいいんですよ。成長期にタイムが伸びないこともあるでしょうし。でもね、ストップウォッチで計っているんだから14秒25や14秒27でもよかったはずです。それが3回とも14秒26だった。「ふふふ、君にこの謎が解けるかな」。そうか、これは自分に対する挑戦状だ。僕はこの出来事を、そういうメッセージとして受け取ったのです。
ある時、研究室にみんなが集まり、速く走る方法についてあれやこれやと話し合っていました。自らの経験やこれまで調べたきた研究結果など、それぞれが速く走るためのコツやトレーニング方法を出し合い、それについて話し合った。そして話も佳境となった頃、ちょうどそこにアルパカ先生が顔を出された。そこで、先生にもぜひ何かひとつ意見を頂けないかとお願いしました。すると先生は一言、「ゆっくり走ればいいんですよ」そう言われました。
みんなの頭に?マークが浮かび上がる。しばしの沈黙の後、友人のプーが口を開来ました。「それは "競走なんてしないで楽しく走ればいいじゃないか"、そんな意味ですか」。すると先生は「いえいえ、"ゆっくり走ると速く走れる"、という意味です」と言われました。みんなの頭の中が??となる。またプーが沈黙を破ってみんなの意見を代弁した。「それはどういう意味ですか」。すると先生は「ゆっくり走るというのは、ゆっくり走るという意味です」と答えられた。それでもプーは引き下がらずに畳み掛けた。「ゆっくり走るというのは、練習でゆっくり走るということですか。それとも競走する時にゆっくり走るということですか。また、短距離走での話ですか。それとも長距離走での話ですか」。
すると先生は「練習でも競走でも、短距離でも長距離でも。速く走りたかったらゆっくり走ればいいのですよ」そう答えられました。みんなの期待を一心に受けたプーは最後の勇気を振り絞った。「先生、もう少しだけヒントをお願いします」。すると先生は少し間を置いてから、「全力で、頑張って、一生懸命走るというのは、速く走ることと少しズレているということですかね」そうおっしゃられました。
『ゆっくり走ると速く走れる』。
この謎が僕らを加速させる。